「許し」を「可能にする」

こんにちは

癒しのカウンセラー

いくです

 

f:id:ohanaiku:20180108162301j:image

 

今日は

旦那さんと2人で

旦那さんのご両親の

お墓詣りに行ってきました

 

浅草まで

2人でドライブ

 

 

少し前だったら

考えられなかったな

 

 

子供ができた頃から

旦那さんを邪険に扱うようになって

今思うと

すっごいひどいこと

たくさん言ってきた

 

(いつぞやの議員さんか、それ以上か💦)

 

 

パワハラだって言われたこともあったし

泣かれたこともあった

 

なんで俺だけ

こんな扱いを受けなきゃいけないんだ

 

そう言われたこともあった

 

 旦那さんが

ストレスから借金をして

家を失う一歩手前までいった

 

 

そこからの夫婦の関係は

最悪だったと思う

 

顔も見たくない

いなくなってしまえばいい

 

そう思ったこともある

 

 

仲よさそうな家族を見ていると

羨ましくて

 

でも

いざ旦那さんと向き合おうとすると

それができない自分に

愕然とする

 

よそよそしい

嫌な態度でしか

接することができない

 

直そうと思っても

直せない

 

いつ離婚できるのだろう

そんなことも当然

頭をよぎった

 

 

心屋を知って

旦那さんは「ネ申」とわかり

自分でも旦那さんのことを

「ネ申」と思う出来事があって

 

感謝とともに

前向きに接することが

できるようになっては

 

また

元に戻る

 

 

それを何度も繰り返し

 

やっぱり無理なんだと

とうとう

子供達の前で

「離婚」という言葉を

口にした

 

 

子供も泣かせた

悲しい思いをさせたと思う

 

 

 

それからどのくらい

経ったのかな

 

たぶん

一年も経っていない

 

 

今までで

一番いい状態が

続いている

 

 

2人で出かけるなんて

考えられなかったわたしが

 

2人で出かけたいという

気持ちになれた

 

 

旦那さんが家にいることが

苦痛でしかなかったことが

考えられないくらい

 

普通に暮らしている

 

 

それがなんだか

とっても嬉しかった

 

 

なにかで

「許す」ことができないことなどない

 

という言葉を目にした

 

 

旦那さんが作った借金

旦那さんがわたしについた嘘

 

ぜーーーーーーーーーったいに

許せないって

思ってた

 

 

借金を

返済してくれたのは

うちの両親

 

返そうと努力もしていない

反省の色も見られない

 

こんな人

一生許せるわけがない

 

そう思ってた

 

 

わたしにとって

「許す」ことは

「負け」を意味するって

ことだったんだろうな

 

この人に

負けるわけにはいかない

 

そう

思っていたんだな

 

 

何がきっかけかは

覚えていない

 

でも

わたしはきっと

「許す」こと

「負ける」ことを

自分に「許可」したんだと思う

 

許可って

「許し」を「可能にする」

 

そう

 

自分自身に

許すことを可能にさせたんだ

 

 

 

前にも

旦那さんに「負ける」ことは

やって?きた

そう思っていた

 

だから

 

もしかしたら

また

前のように

戻ってしまうんではないか

 

あの

険悪な雰囲気を

自ら作ってしまうのではないか

 

そんな不安が

一瞬

頭をかすめたけれど

 

 

なんとなく

なんとなくだけれど

 

「それはないかな」

 

そう思っている

 

 

これにも

根拠も

理由もない💦

 

ただなんとなく

そう感じるのは

「負ける」こと以上に

「許す」を

感じているからかもしれない

 

 

家について

車を降りる時

 

老後もこうやって

過ごしていくんだろうな

 

 

そんな風にも

思えた

 

 

ビックリだよ

数年前、いや、

数ヶ月前は

離婚騒動?だったんだから

 

 

何かあったから    ではなく

 

なんにもなくても

寄りかかれる存在

 

 

そんな関係が

わたしの理想

 

 

 

その理想の

近くにいることが

今は嬉しい