『普通』『当たり前』という名の『安心』

今まで

「普通」でいることが当たり前だった

 

学校に行くこと

テスト前は勉強すること

21時前には家に帰ること

お母さんの言うことを聞くこと

お友達と仲良くすること

先生に言われた通りにすること

決まりを守ること

人と揉めないようにすること

お金を無駄遣いしないこと

子供が生まれたら、子供を優先にすること

 

わたしにはこれが

『普通』であり

『当たり前』だった

 

世間からみても

『普通』でいられることが

わたしの『安心』だった

 

 

 『普通』ってなんだろう?

『当たり前』って誰が決めたの?

 

そう思えるようになってから

少しずつ

わたしの『普通』『当たり前』を

崩していった

 

 

でもまだ

「これでいいのかな

『普通』じゃないけどいいのかな」って

戻っちゃう時がある

 

『普通』であれば

お母さんに怒られない

 

これをするのが『当たり前』

 

そうすることで

自分を『安心』させてきたから

 

そうでないと

不安になる

 

 

他から見た『普通』や『当たり前』を

脱ぎ捨てて

自分が『コレだ』と思う方向に

進んでいくこと

 

 『安心』を手放すことは

やっぱり怖い

 

でも

 

自分が思った通りに

自分の心のままに

動き始めると

 

たとえ戻っても

戻ったところに

「違和感」を感じるようになる

 

そこで立ち止まってみたらいい

 

今まで同様の『安心』がいいのか

『不安』も共存するけれど

自分の心に従うのか

 

わたしはもう(たぶん?)

『自分の気持ちを大切にする』ことに

片足、いやそれ以上

突っ込んでいる…と思われるので

 

今までの『安心』より

『自分の気持ち』に

また返ってくる

 

 そんなことを繰り返し

わたしがわたしの『当たり前』を

確立できたとき

これが『安心』につながるんだろう

 

『わたしがわたしのことを大事にできた』

という『安心』に(^。^)

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